• 開けたら閉める

凍える季節にぴったりで
日本全国津々浦々、いや世界中のみなさんにぜひ使って欲しい言葉がある。
残念ながら今のところ、この素晴らしい言葉は熊本地方でしか使われていない。
(素直に方言と言え)
おそらく、この言葉が広まれば街の風景は一変するだろう。
もう「冷暖房中につき、扉を開けたら閉めましょう」なんて無粋な張り紙やプレートを見なくて済むのだ。
これからはシンプルに

”ATOZEKI"(後関)

なんと漢字でも書ける。
ご家庭でもどうぞ。
「寒いから、開けたら閉めてよォ。」ではなく、
コタツの中から一声「アトゼキ!」と叫べば言いのだ。
迫力満点、効果抜群???
地方で埋もれさせておくにはもったいない言葉だと思わないか?


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  • 便所の鍵

わたくしの育った家では鍵をかける習慣がなかったので
うっかりすると家族の情けない姿を見るという事故が起こる。
事故防止の為、使用中に人の気配を感じたら動物の鳴き声で存在をアピールする
という暗黙のしきたりがあったが、鳴き声を聞き逃すこともしばしば。
動物の鳴き声が悲鳴に変る。

こういうときに後から来たほうが優位に立つのはなぜだろう。
「もっとはっきり鳴け」とか「わかりやすく鳴け」とかいうことになるのだ。

鍵を閉めれば安心というわけでもない。
わたくしが「職場の花」として可憐に1歩を踏み出した頃。
居酒屋の便所でしっかり鍵をかけていたにも関わらず異性に開けられてしまったことがある。
事故だった。

「OH,NO!」おもわず肩をすくめた。
とっさのときには自分でも理解不能なコトをするものである。
前世では英語圏に住んでいたというのか。オーノーだと・・・。

知人である犯人は(犯人よばわり)最初、立て付けの悪いドアだと思ったらしい。
(ホントカ?ホントカ?下心はなかったか?)
鍵も破壊されてしまったが、わたくしのハートもブロークンである。

もうおしまいだ、お嫁にいけない。
人知れずココロに重い十字架を背負って生きるのねっ

翌日の午前中くらいまでは苦悩していたのだが
その男が今の夫・・・・ではない。

個室を開けられたくらいで人生は変ったりしないということだ。
重い十字架?さあて、どこにいったかねぇ。(遠い目)

万全を期すなら鍵をかけた上にドアを手で押さえながら用を足すくらいしなければならない。

現在のわたくし、自宅のドアはほんのり開けている。
子供達の侵入はやぶさかではない。
しかし、夫が居るときはしっかり鍵をかけたりする。
警戒心か?それともオトメゴコロか?

友人がデパートで用を足そうと個室のドアを開いたら先客が居たそうだ。
びっくりして立ち尽くしていると
非難の言葉と共に激しくドアは閉められてしまった。

コレは最初に居たほうが優位に立ったという稀な例だが
ドアをいきなり開けるのもちょっとはしたない。

まともなドアと鍵が付いている便所など世界の全便所数からすると少数派かもしれない。
ノックでも、動物の鳴き声でもなんでもいい。鍵のかわりのコミュニケーションも面白い。


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  • 条件というしあわせ

○○にしたいけどこの条件じゃあねえ。

と思ったことはないだろうか。
ここに窓があれば・・・とか、壁がなかったら・・・とか、
土地が広ければ・・・だとか、予算が十分だったら・・・などなど。
あらゆる難題が自分の創造性を押しつぶすかのように感じてしまう。

ちよ、ちょっとまってくださいましよ。
では、どっかーんと広い土地があって、どっかーん潤沢な資金があって、
用途も自由、条件はなにひとつなし、
さあ、お好きなように・・・といわれたら満足かしら?
どうよ、どうよ、どうなのよ。
想像してみよう。
ほとんどの人の頭の中は真っ白になってどこから何から手をつけてよいやら途方にくれるか、てんでばらばらなものが出来ててしまうのではないだろうか

選択肢が多すぎるとかえって選べなくなってしまうもの。
そう考えると、ちょっと後ろ向きかもしれないが条件というのは非常にありがたい道しるべのようなものだ。

服をオーダーするときに寸法をしっかり計るのも条件。
一瞥して「うけたまわりました」なんていう仕立て屋はあやしい。
建築家やデザイナーも同じかもしれない。
条件があればあるほど具体的なイメージが膨らみやすいのだ。
もちろん空間の主役である自分の好みも条件のひとつ。
条件を制する物は空間を制す。なのだ。


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  • 虹の住人

「七歳までは夢の中」という本がある。
ドイツの建築家でもあるシュタイナーが創設したシュタイナー教育に触れた日本人母子の体験記だ。

さて、「夢の中」とは、どういうことだろうと思うヒトもいるだろう。
以下はわたくしの勝手な解釈である。

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ココロを静めて、ようく、ようく、思い出してほしい。
子供のころは皆、虹のような「もや」の中に住んでいると思う。
ただ、大人になった今では忘れているだけなのだ。

母親の胎内から飛び出し、本当に外界に慣れるまでの間は虹に覆われる。
虹の中で十分に熟成されてヒトとしての根本的な何かを形つくるのだろう。
虹は第二の胎内かもしれない。

虹の中にすんでいると、周りがよくわからない。
周囲のことがうまく把握できないということは苛立ちでもある。
わけがわからないまま、あっちに行ったり、こっちにいったり、悲しかったり、うれしかったり。
ただそれだけなので、あなたの近くの虹の住人はもっと「説明」を欲しているかもしれない。

わたくしも成長するにつれて少しづつ「もや」が晴れていったように思う。
(いまだに虹の中に住んでいるという説もある)
虹から出てきた大人は、新たに「雰囲気」のような空気をまとうようになるのだろう。

ある方に、「子供が乳歯から永久歯に生え変わるときにもやが晴れてくるのだ」と教えられた。
ちょうど今、わたくしの長男がそうだ。
子供が虹に守られることを大切にしてほしい。
大人は自分がまとっている空気を大切にしてほしい。


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かたづけられない女たち

「かたづけられない女」・・・嫌な言葉だと思う。
「かたづけられない男」は五万といるのに「かたづけられない女」だけが問題視されているとはどういうことか。
これって性差別ではないか?
いや、性差別かどうか、今回はおいといて。

「かたづけられない」というまるでその人格に何かが欠けているような言い訳じみた表現がイヤだ。
その人たちがもしかして何か問題をかかえているのなら
片付けないのは自己表現であって、
知らず知らずのうちに片付けないことでなにかを訴えているかもしれないのである。

かたづけられないのではなく、片付けないのだ。
問題や悩みがあってそれを片付けないといことで表現しているのであれば
たまたま、そういう状況や方法がなのであって
逆にほどほどに片付けられている人でも
たまたま片付けられる状況にあるというだけで、人間的に優れているわけではない。
きちんと片付けられる人が何も問題を抱えていないとは言えない。
必要以上にきちんとしたがるのも何かの表現かもしれないのだ。

何も理解しない人が一部分だけを切り取ってその人の全てを判断してはいけない。
片付ける・片付けないことよりもっと大事なものを見失わないで欲しい。


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