• コーディネートはこーでねーと・・・

部屋のコーディネートについて尋ねられることもある。

「この形はどうかしら、色はどうかしら。」

立体的なものになることや、素材や色の分量がどの程度になるのか想像がつきにくく不安になってしまうようだ。

わたくしは、我流の着付けで着物に袖を通すことがあるだが
普段の生活で接する機会が少ないせいかコーディネートが難しく、不安になる。

「この色どう?あうかしら?」

コーディネートは経験の積み重ねでもある。

あとは、「センス」だろうか
この場合「センス」というのは「格好良く仕上げる」ということでなく「好む感じに仕上げる」ということと思ってほしい。

好む感じというのは人それぞれ。

ベビーカーの中の赤ちゃんがいくらかわいらしいからといってそっくりそのままサイズを変えて同じ格好をしてもマヌケなだけ。ばぶー

空間も同じだ。

自分の好みがはっきりしているヒトは自分の部屋を好む感じにするために試行錯誤をくりかえしているうちに今日の洋服を選ぶように自然にコーディネートができるようになる・・・かもしれないね。

「経験」と「センス」を持ち合わせたプロのコーディネーターを頼るのもいい。
だから、しつこいようだけど、この場合の「センス」とは自分の「好む感じ」。


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  • バリアフリーとユニバーサルデザイン

バリアフリーとユニバーサルデザインっていうか
バリアフリーのユニバーサルなデザインって言う方が正しいかも。

平たく言うと「みんなで仲良く暮らそうよ」ってことだ。(まじかよ)

「みんなで仲良く暮らす」ための空間作りをしようとわざわざ口にすると言うことは、恥ずかしいけど今までそれが出来ていなかったということだね。

「みんなで仲良く暮らす」なんてごくごく当たり前なのだが
当たり前のことを当たり前にするってことくらい難しいことはないわけで

空間を作るヒトだけでなく、物を作るスベテのひと
そして、ほら

あなたも

「みんなで仲良く暮らす」にはみんなの力が必要だ。


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  • キュリー婦人の大きな机

子供のころ読んだキュリー夫人の伝記のなかで

幼いキュリー婦人が、沢山の兄弟姉妹と大きな机を囲んで勉強していた。

というエピソードがあったと思う。
生まれながらの集中力がこのような環境でますます養われていったという話。

大人はどうだか知らないが、赤ん坊の場合、寝かせつけようと思ったら
静かでゆったりとしたクラシックをきかせるよりもハードロックを聞かせたほうがいいという話を聞いたことがある。
音の大きさやリズムのスピードなど脳の処理能力がついていかず眠ってしまうらしい。

実際赤ん坊を抱えたまま怒鳴ったりしていると寝てしまうことが多い。
わたくしが赤ん坊をひっかかえてハードロック調で怒鳴っているとか
そんな想像はせんでもヨロシ。
たとえば「思う存分泣けよ。」とカラオケボックスに連れていっても案外スヤスヤと寝てしまったりするものなのだ。

集中力とは、周りの情報の処理を放棄するということかもしれない。
いやいや、べつにキュリー婦人に喧嘩を売ってるわけではないよ。
落ち着きがないといわれる子供は沢山の情報処理能力に優れてるともいえるのだから。

個人個人の学習机を用意して、机に向かうという習慣を身につけさせなければという説もあるので
集中できる環境つくりというのはなにも机の形状とは関係ないかもしれないね。


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  • おばあと階段

私が30のころは、30って言えば結構年増だったけど、今の30は若いね。
私の若いころは戦争で、戦争が終わってからは必死に働いていたよ。
気難しかったおじいさんがあの世に行ってから、
この年になってやっと自由に遊べるようになったのに
今度は体がなかなか言うこと聞かないようになってて、
昔はどこまでも歩いていったものなのに、今は駅の階段の上り下りもしんどいよ。

でも、そういうときはね
これはちょっと老人会では有名な話なんだけど
階段を斜めに上っていくと楽なんだよ。
斜めに進んで行き止まりになったら向きを変えてまた上って、
下からジグザクに上っていくんだよ。
ちょっと時間はかかるけど、私らは楽なのが一番さ。


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  • 身辺整理をする力

わたくしのハハ方のHおばあの荷物を整理することになったとき(まだ生きている)
その役をひきうけることになってしまったハハが憤慨していた

「いらないものが多すぎる!」

デザインや色、どれも変り映えのしない洋服、帽子。
生活用品のストックなどの使えるもの、若しくはムカシ使えたもの。
デパートの紙袋からあらゆる包装紙、惣菜のトレーに至るまでアレヤコレヤ。

結果、Hおばあの持ち物のほとんどがゴミになってしまった。
というか、もともとほとんどゴミだった。
ゴミと暮らしていたHおばあ・・・なんとむなしいことよ。

この夏、私が帰省して実家をかたづけようと言い出したら
なんとハハは難色を示した。
ほんの数年前、Hおばあの荷物整理の時はゴミ袋片手に奮闘していたというのに
自分の番が回ってきたら

「私にあるものは思いでだけだから、残りの人生思い出に囲まれて生きるの。」

なんてのたまう。
ちゃっかり「新しい思い出」も増えていたりするのだが・・・。

身辺整理というのは体力的にも精神的にもエネルギーが必要なことで
年をとったらそのエネルギーが沸いてこないという。
おまけに「自分が死んだらどうせ片付けられてしまうから」とも思っているらしい
”立つ鳥後を濁さず”と言うだろう。
きれいに片付けてから逝こうという気は無いのか?
いやハハは至って健康。

死んだときは「麻袋ひとつでした」なんて田中正造みたいに
とまではいかなくても潔い老後というのはそんなに難しいことなのだろうか。
身辺整理をする力もでない・・・・なんか悲しい。


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