ワタクシが常々お世話になっている方々にライフスタイルやインテリアについてお話して頂きました。 ゲストインタビューへ
くうかんてきせけんばなし
空間ゲストインタビュー

kaoちむ
セックスを楽しむ家 第一章
Kaoちむは
建築デザインを勉強中の新妻2年生。(当時)
愛のある暮らしを貪欲に求める生き様は天晴れなほど。
今回は「セックスを楽しむ家」というお題で考察していただきました

透け透けの家

 数年前、アップル社から透けるパソコンが発売されて人気を博したのをキッカケに、一時、世の中なんでもスケルトンになった。
透ける必要のあるモノ(=女の子のパンツ)などは相変わらず透けないで、特に透ける必要のないモノがどんどん透けてゆき、醜い内部の配線を露呈したあらゆる種類の電化製品が発売され、ただフツウのホッチキスが欲しくてサワヤカおやじの店ジャパン(=関西版ドンキホーテみたいな感じ)を覗いた当時24歳主婦は、カワイイ男子学生アルバイトに「スケルトンしかありません」と言われ、そのあまりにもチン毛(チンケと読んでね)なホッチキスの姿に悶絶したという。

 そんな流行の前からなのか後からなのか定かではないが、「透け透けの家」も多くなった。
インテリアや建築関係の雑誌に登場する家は、その多くが外に向かって透けている。ファンズワース邸をミジメにしたようなそのガラスの多用っぷりは、鳥にとっての凶器でさえあり、建築家は「家人の気配を外に伝える」とか「内と外の境界をあいまいに」などと鼻を膨らませ、施主のすてきな奥さんは、「とにかく明るくて気持ちいいです」「道行く人に見られていると思うと、家を常にキレイにしておかなくちゃ、という緊張感がはたらくので美しいインテリアを保てます(笑)」と口を揃える。

 好みというのは人それぞれなので、ただ若くて美しいだけの私が彼らの家に疑問を呈するのは余計なお世話ココに極まれりなのだが、そこで「すみません」とズリズリ後ずさりしようものなら背後に控える空間サマに尻を蹴りあげられるのがオチなので、お、恐れながら申し上げると、私がいつも疑問に思うのは、「この人たちドコでエッチにおなりなさるの」ということだ。
 たとえ「透け透けの家」であっても、さすがに寝室までフルに透けていることは少ない。たいていの場合、大きなカーテンや可動式の家具などで大雑把に仕切れるようになっていたりはする。でも、おそらく家にいる時間の大半を過ごすリビングやダイニングは、前述のとおり透け透けなのだ。とても「うふんであはん」な雰囲気に浸っていられる場ではない。
 すると、ナニか。「透け透けの家」に住む夫婦は、邪魔なガキがいないせっかくの午後のひとときであっても、テレビをみてゴロゴロくつろいでいるうちに、なんとなく「うふんであはん」な気分になることは許されないのか。「うふんであはん」の「う」のあたりで、夫婦互いに顔を見合わせ、「うむ」と寝室へ赴き、シャっとカーテンを引いてピロリと布団をめくり仲良くベッドにおさまって初めて「さて」とコトに至るほかないのかそんなのアリか。それとも「道行く人に見られていると思うと、燃えるんです(照笑)」と口を揃えるつもりなのかいやんばかん。
空け空けの家

 驚くほどの金持ちが建てた、ただただ驚くばかりのスバラシイ家は読者の共感が得られない。したがって誌面を埋め尽くすのは、驚くほど狭い敷地に、驚くほど工夫を凝らして建てた、驚くほど安価な家ばかりだ。そして、どの家も驚くほど明るく、天井は驚くほど高く、そこかしこがどかんどかん吹きぬけている。横方向の広がりに限界があるので、せめて縦方向に開放しようという努力の現れなのだろうが、それが私の目にはなんとも浅ましげで物欲しげに映る。
 本来ならいい家が一軒建てられるせっかくの広い土地が、わざわざいくつにもいくつにも細分化され、そのうちの一つばかりを、並々ならぬ妥協のうえ、定年後まで続く長期ローンでどうにか購入したわりに、相変わらず「庭付き一戸建て」の夢を捨てきれない各人がそれぞれテンでバラバラに「坪庭」を確保しようとするものだから、そのしわ寄せで家は張り裂けそうなパッツンパッツンのパンツみたいにギリギリいっぱい路地側に張り出し、外観は各人の財布に応じたありとあらゆる建材の展示場と化す。そもそもどこかで聞いたような夢を自分の夢に転化し、そこに絵に描いたような「個性」を貼り付けて、妥協に妥協を重ねながら無理ヤリにでも叶えてしまおうとする姿勢そのものが浅ましいのだと言えば言い過ぎですか、すみません。

 「家は明るいほうがいい、天井は高いほうがいい」
理想のマイホームについて語ると、みな判で押したようにつぶやく。その信念はこれまた驚くほど強固で、明るさと開放感に心を砕くあまり、結果として家はイヤらしく透け透けになり、天井は宇宙まで吹き抜けることになる。おまけに少しばかりの洒落っけを発揮して、「生活感のない家」を目指してみたりもするものだから、テレビのお宅拝見番組などを見ていると分かることだけれど、たっぷりすぎる収納スペースを盛りこんだそれらの家は、どの部屋も必要以上に片付き、狭いわりに空け空けで寒々しく、家人の声がウワンウワン反響する。当然寝室も。そのような家の「夜の顔」を想像するだに興奮するのは私だけか。それともご夫婦は声を殺すのがお得意か、もしかしてその方が燃えるのか、そうかそうなのか、新妻帳にメモメモ。
日本人はアオカンがお好きか  ここで、私はある重大な事実に気づいてしまった。重大すぎてちょっと教えるのがはばかられるほどだ。でも今回はトクベツに教えちゃう。いいか、よく聞け(エラそうに)。
最近の日本人はアオカン趣味なのだッ。うっわー言っちゃった言っちゃったよママー。
 「アオカン」というのは、本来は野宿のことを指す。沈既済(しんきさい)が書いた「枕中記(チンちゅうき)」に、「邯鄲(かんたん)の夢」という故事がある。立身出世を望んで邯鄲という都市に出てきた青年が、仙人から栄華が思いのままになるという枕を借りて道端で寝たところ、なるほど本当に栄枯盛衰の50年余りの人生を夢に見たが、目覚めてみるとさっき注文した粥がまだ炊き上がらぬほど束の間の出来事に過ぎなかったよと、いわゆる人生のはかなさを説いたこの説話がその語源と言われるほど、なかなかどうして「アオカン」は奥の深い言葉なのだが、ココでいう「アオカン」はただ単に野外セックスのことです長々とごみんなさい。
 アオカンのキーワードは、やはり「他人の目」と「開放感」。「見ないで。でも見て。でもやっぱり見ないで。でもちょっとだけなら見てもいいわよぅん」的願望と、祖先がその昔、田んぼのあぜ道でせっせとハゲんだキモちいい行為の記憶がDNAに組み込まれているのかどうなのか「地球を枕にひろびろヤリたいぜウオー」的精神が遺憾なく発揮された結果、透け透けで空け空けな家ができあがるのではないか。つまり日本人は自宅でアオカン気分を味わいたいのだろう、そうだろうそうに違いあるまいこのスケベ。
少子化、高齢化が社会問題になっている昨今、空間が出来る「子作り支援」があるかもしれない。あとは案ずるよりも産むが易しで子供が大勢いれば「子育て支援」なんて自然についてくるものじゃなかろうか・・・なんて思ったり。

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